2013年02月11日
リールと音楽に走ることと本
一連の手持ちリール一斉オーバーホール作業の中で、カルカッタ400に要修理箇所を発見。
注文していた部品が届いたので、夜、作業に取り掛かった。
注文していた部品が届いたので、夜、作業に取り掛かった。
2月9日
昨日までの荒れた天気とは一転、今日は晴れ間ものぞく良い天気でお出かけ日和。
僕はアングラーズ、嫁は隣のやまやという、いつものコースで買い物したが、今日は息子が僕の方に付いてくると言い出した。
以前店に置いてあったスロットが楽しかったらしいのだが、今はそれもないので、適当に店の中を見ている様子。
「お父さん、これ!」と笑いながら僕に見せるのは「メバルロケット」だかいう品物。キャロ用の飛ばし浮きの類だろ、と思うが、別段興味もない。どうやら「ロケット」というネーミングが面白かったらしい。
本人はまた釣りに連れて行って欲しいらしいが、食べて美味しく、手軽に楽しめる釣りが条件となるので、フナ釣りに連れて行くわけにもいくまい。多分あの引きを味わったら絶対はまると思うのだが、その後「これ喰う!」と言い出しそうなのでやめておこう。
暖かくなったら、またたくさん釣らせてやるからな。父ちゃんにまかせとき(^^)
用件を一通り済ませ、某SCで「太鼓の達人」を家族で楽しむ。
とりあえず難度が高いとなっている曲もクリアできたが、意外と難しくて面白い。
ゲームはからきし駄目な僕だが音楽は大好きなので、これは良いかもしれない(笑
その後、天気も良いのでランニングをしに富山県総合運動公園へ向かう。
ここは1周2・1kmのランニングコースがあり、地面がアスファルトではないので膝にも優しく大変走りやすい♪
嫁と息子はウォーキング。僕はランニング。
僕はまだランニングに関しては超初心者なので、基本的な走り方や姿勢なんかも全く知らないのだが、とりあえず筋肉痛にはならないようにゆっくり走る。結局、3周して時間は40分ジャストだった。息も上がらず痛みもないので、まだいけそうだが、少しずつ慣れていくことにしよう。
走るって、やっぱ気持ちいいわ!
飯前に地域の会合をひとつ済ませてから、夕飯はお好み焼き。
お好み焼きに関してはかなりの自身を持っているが、今回はかなりの上出来で、ランニングで腹が減ったこともあり、大量に喰う。
飯の後、しばらく読書。最近読んでいるのは村上春樹の「海辺のカフカ」。僕は活字中毒者ゆえ、普段から結構本を読んでいるつもりなんだが、意外にも村上春樹というメジャーな作家の本はほとんど読んでおらず、最近になってようやく集中的に読み始めた。
内容は難解な部分があるが、すんなりと自分の体内に入ってくる文体のおかげで、物語と自分との距離をうまく保てた状態で読み進めることができる。これはとても大切なことで、僕は非常に良い状況でこの物語と対峙出来ている。
入り込みすぎたら、物語の大切な部分を飛ばしてしまいそうだし、また距離が離れると「小難しいことばっか言ってんじゃねぇ」って気分になりそうだ(笑
夜の時間。
自分の好きな音楽をかけながら、冒頭にふれたカルカッタの修理作業に取り掛かる。

購入したのは17年ほど前かな?ちょっと定かじゃないが、雷魚のカバーゲーム専用に使っていた。
流す音楽はカラヤン指揮の「ベートーヴェン:交響曲題5番運命&交響曲第6番田園」。
作業中は耳で聞くよりも身体に入ってくる音楽の方が向いている。
このCDが終われば次は「チャーリー・パーカー」。アルトサックスの音色が心地よい。
その次はBOB・DYLANの「追憶のハイウェイ61」。もっともこの曲になるころには作業は終わって、このブログを書いている段だが(^^;
どのアルバムにしても、分野は違えど、心の隙間を埋め尽くしてくれるかのような豊かさを持っている。
良い音楽とはずっと聴かれ続かれるべき「存在」であり、「音」である。
カルカッタの作業は修理なんて大袈裟なもんじゃなく、部品交換だ、
この初代カルカッタ400。堅牢なアルミフレームを使っている割には軽量化のためか、部品の所々に灰色の樹脂が使用してあり、それがなんとも悲しいまでにみすぼらしい ( ̄Д)=3
そして「レベルワインド受け」のキャップ部分が経年劣化で割れてきてしまい、使い物にならなくなってしまうのだ。
これは同じくこの初代カルカッタ400のオーナーの方は同様の経験をお持ちの方も多いこととお察しするところで。
これの↓

これですわ↓

ネジの部分はちぎれ、下部はひび割れ。救いようがないですな (ノД`)
これを05カルカッタのものにレベルワインドごと全部取り替えちゃおうということ。
今年、新しいnewカルカッタ400が出るみたいだけど、そんなもん知らん。そんなんに気を取られてたら金と時間がいくらあっても足りない。
多分05モデルとサイズは同じ。キャップは金属製になっているし、レベルワインド自体も灰色から黒に口は金と高級感があって少し偉そうだ(笑
とにかくこれで、この部分は壊れんでしょ。
一丁上がり Ψ( ̄∀ ̄)Ψ
なんとなく高級感が増した感が。自己満足上等ですよ(笑

こいつで今年は富山の雷魚のカバーゲームの開拓を試みたいと思っている。
アンダーの釣りじゃなくて、カバーゲームで。
アンダーだったら釣れる場所は知ってるし、今までそれなりの数とサイズも上げてきた。けど、僕が雷魚を始めたのはカバーゲームからで、その時初めて釣った時の衝撃は未だに自分の中で越えられていない。サイズは75センチだったけど、その時の暴力的とすら言える力勝負の掛けてからのやり取りは衝撃的で、その後、雷魚を釣るたびにどんどんはまっていった。
富山に戻ってからはアンダーの釣りとなり、サイズは大きくても今ひとつ僕の心はすっきりしなかった。
だから、今年、やるのだ。雷魚のカバーゲーム。
やりたい釣りに正直に。例えシーズンを棒に振ってもかまわない。そこに楽しさの欠片は残るはずだ。
話は変わり、最近、読んだ本。

左:夢枕獏・著 撮影・佐藤秀明 「愚か者の杖」
右:田子康彦・著 「愛しきアユ サクラマス そして、川へ」
「愚か者の杖」は僕の大好きな開高健の「オーパ」シリーズみたいなもんで、同じ釣り好き作家が世界を釣り歩く釣行記と写真集を合わせたもの。
さすが、稀代の文筆家・夢枕獏だけあって、文体は軽妙かつ味わい深く読ませる。印刷された文字が空間を漂うかのようだ。
本の冒頭にこうある。
「釣りは愚かだ。 釣りをするものは愚かだ。 しかし、その愚かな釣りが愛しい。 自然を愛しながら、魚を愛しながら、しかも、その愛しいものを最後には殺して食べてしまうという、仏教徒にとってはなんとも言えない哀しみのごときものが、釣りにはつきまとっている。 人は愚かだ。 愚かでよい。 釣り人が握る竿は、生きてゆくために。その愚かな人間がすがるための杖なのである。」
ならば、僕は飛びっきりの愚か者として、その杖をぶん回しながら、人生のいくばくたる哀しみも楽しみも強引にその活力とし、そして笑ったまま死んでいきたい。
「愛しきアユ~」は著者の田子康彦さんは富山県水産試験場の研究員で、アユ、サクラマスについての造旨が深く、私も過去に自分の中で生態が掴めない魚があり、その解明になるかと、田子さんの研究論文をいくつか水産試験場に頼んでコピーをわけていただいたことがある。なので、勝手に親近感を覚えている(^^;
この本には田子さんのアユやサクラマス、そして川、またそこに生きる川漁師への愛情に溢れ、年々衰えていく川へのレクイエム的な内容(本人は決してそれは望まれてはいない)になっている。
川漁師のひとつの言葉が頭に残った。
「川が痩せる。」
由々しき問題であり、その根源は深くかつ広い。
私たちには次世代に豊かな自然を残す義務があるはずだ。では、何をすれば良いのか。正直、何から手をつけてよいか分からないだろうし、何か声を張り上げたところで、良い年齢の大人がそれをやると少なからず面白くないことにもなる。
では、どうすればよいか。例えばゴミを捨てない。また、ゴミを拾う。
そして、僕は次のことが大事だと思う。
「まずは知ること。」
これが元であり、始まりだと思っている。
まだまだ釣りたい魚もいるし、読みたい本もあれば聞きたい音楽もある。もっと走りたい。
「途上」である人間は幸せだ。
僕は死ぬまで「途上の人」であり続けたいと思っている。
昨日までの荒れた天気とは一転、今日は晴れ間ものぞく良い天気でお出かけ日和。
僕はアングラーズ、嫁は隣のやまやという、いつものコースで買い物したが、今日は息子が僕の方に付いてくると言い出した。
以前店に置いてあったスロットが楽しかったらしいのだが、今はそれもないので、適当に店の中を見ている様子。
「お父さん、これ!」と笑いながら僕に見せるのは「メバルロケット」だかいう品物。キャロ用の飛ばし浮きの類だろ、と思うが、別段興味もない。どうやら「ロケット」というネーミングが面白かったらしい。
本人はまた釣りに連れて行って欲しいらしいが、食べて美味しく、手軽に楽しめる釣りが条件となるので、フナ釣りに連れて行くわけにもいくまい。多分あの引きを味わったら絶対はまると思うのだが、その後「これ喰う!」と言い出しそうなのでやめておこう。
暖かくなったら、またたくさん釣らせてやるからな。父ちゃんにまかせとき(^^)
用件を一通り済ませ、某SCで「太鼓の達人」を家族で楽しむ。
とりあえず難度が高いとなっている曲もクリアできたが、意外と難しくて面白い。
ゲームはからきし駄目な僕だが音楽は大好きなので、これは良いかもしれない(笑
その後、天気も良いのでランニングをしに富山県総合運動公園へ向かう。
ここは1周2・1kmのランニングコースがあり、地面がアスファルトではないので膝にも優しく大変走りやすい♪
嫁と息子はウォーキング。僕はランニング。
僕はまだランニングに関しては超初心者なので、基本的な走り方や姿勢なんかも全く知らないのだが、とりあえず筋肉痛にはならないようにゆっくり走る。結局、3周して時間は40分ジャストだった。息も上がらず痛みもないので、まだいけそうだが、少しずつ慣れていくことにしよう。
走るって、やっぱ気持ちいいわ!
飯前に地域の会合をひとつ済ませてから、夕飯はお好み焼き。
お好み焼きに関してはかなりの自身を持っているが、今回はかなりの上出来で、ランニングで腹が減ったこともあり、大量に喰う。
飯の後、しばらく読書。最近読んでいるのは村上春樹の「海辺のカフカ」。僕は活字中毒者ゆえ、普段から結構本を読んでいるつもりなんだが、意外にも村上春樹というメジャーな作家の本はほとんど読んでおらず、最近になってようやく集中的に読み始めた。
内容は難解な部分があるが、すんなりと自分の体内に入ってくる文体のおかげで、物語と自分との距離をうまく保てた状態で読み進めることができる。これはとても大切なことで、僕は非常に良い状況でこの物語と対峙出来ている。
入り込みすぎたら、物語の大切な部分を飛ばしてしまいそうだし、また距離が離れると「小難しいことばっか言ってんじゃねぇ」って気分になりそうだ(笑
夜の時間。
自分の好きな音楽をかけながら、冒頭にふれたカルカッタの修理作業に取り掛かる。

購入したのは17年ほど前かな?ちょっと定かじゃないが、雷魚のカバーゲーム専用に使っていた。
流す音楽はカラヤン指揮の「ベートーヴェン:交響曲題5番運命&交響曲第6番田園」。
作業中は耳で聞くよりも身体に入ってくる音楽の方が向いている。
このCDが終われば次は「チャーリー・パーカー」。アルトサックスの音色が心地よい。
その次はBOB・DYLANの「追憶のハイウェイ61」。もっともこの曲になるころには作業は終わって、このブログを書いている段だが(^^;
どのアルバムにしても、分野は違えど、心の隙間を埋め尽くしてくれるかのような豊かさを持っている。
良い音楽とはずっと聴かれ続かれるべき「存在」であり、「音」である。
カルカッタの作業は修理なんて大袈裟なもんじゃなく、部品交換だ、
この初代カルカッタ400。堅牢なアルミフレームを使っている割には軽量化のためか、部品の所々に灰色の樹脂が使用してあり、それがなんとも悲しいまでにみすぼらしい ( ̄Д)=3
そして「レベルワインド受け」のキャップ部分が経年劣化で割れてきてしまい、使い物にならなくなってしまうのだ。
これは同じくこの初代カルカッタ400のオーナーの方は同様の経験をお持ちの方も多いこととお察しするところで。
これの↓

これですわ↓

ネジの部分はちぎれ、下部はひび割れ。救いようがないですな (ノД`)
これを05カルカッタのものにレベルワインドごと全部取り替えちゃおうということ。
今年、新しいnewカルカッタ400が出るみたいだけど、そんなもん知らん。そんなんに気を取られてたら金と時間がいくらあっても足りない。
多分05モデルとサイズは同じ。キャップは金属製になっているし、レベルワインド自体も灰色から黒に口は金と高級感があって少し偉そうだ(笑
とにかくこれで、この部分は壊れんでしょ。

一丁上がり Ψ( ̄∀ ̄)Ψ
なんとなく高級感が増した感が。自己満足上等ですよ(笑

こいつで今年は富山の雷魚のカバーゲームの開拓を試みたいと思っている。
アンダーの釣りじゃなくて、カバーゲームで。
アンダーだったら釣れる場所は知ってるし、今までそれなりの数とサイズも上げてきた。けど、僕が雷魚を始めたのはカバーゲームからで、その時初めて釣った時の衝撃は未だに自分の中で越えられていない。サイズは75センチだったけど、その時の暴力的とすら言える力勝負の掛けてからのやり取りは衝撃的で、その後、雷魚を釣るたびにどんどんはまっていった。
富山に戻ってからはアンダーの釣りとなり、サイズは大きくても今ひとつ僕の心はすっきりしなかった。
だから、今年、やるのだ。雷魚のカバーゲーム。
やりたい釣りに正直に。例えシーズンを棒に振ってもかまわない。そこに楽しさの欠片は残るはずだ。
話は変わり、最近、読んだ本。

左:夢枕獏・著 撮影・佐藤秀明 「愚か者の杖」
右:田子康彦・著 「愛しきアユ サクラマス そして、川へ」
「愚か者の杖」は僕の大好きな開高健の「オーパ」シリーズみたいなもんで、同じ釣り好き作家が世界を釣り歩く釣行記と写真集を合わせたもの。
さすが、稀代の文筆家・夢枕獏だけあって、文体は軽妙かつ味わい深く読ませる。印刷された文字が空間を漂うかのようだ。
本の冒頭にこうある。
「釣りは愚かだ。 釣りをするものは愚かだ。 しかし、その愚かな釣りが愛しい。 自然を愛しながら、魚を愛しながら、しかも、その愛しいものを最後には殺して食べてしまうという、仏教徒にとってはなんとも言えない哀しみのごときものが、釣りにはつきまとっている。 人は愚かだ。 愚かでよい。 釣り人が握る竿は、生きてゆくために。その愚かな人間がすがるための杖なのである。」
ならば、僕は飛びっきりの愚か者として、その杖をぶん回しながら、人生のいくばくたる哀しみも楽しみも強引にその活力とし、そして笑ったまま死んでいきたい。
「愛しきアユ~」は著者の田子康彦さんは富山県水産試験場の研究員で、アユ、サクラマスについての造旨が深く、私も過去に自分の中で生態が掴めない魚があり、その解明になるかと、田子さんの研究論文をいくつか水産試験場に頼んでコピーをわけていただいたことがある。なので、勝手に親近感を覚えている(^^;
この本には田子さんのアユやサクラマス、そして川、またそこに生きる川漁師への愛情に溢れ、年々衰えていく川へのレクイエム的な内容(本人は決してそれは望まれてはいない)になっている。
川漁師のひとつの言葉が頭に残った。
「川が痩せる。」
由々しき問題であり、その根源は深くかつ広い。
私たちには次世代に豊かな自然を残す義務があるはずだ。では、何をすれば良いのか。正直、何から手をつけてよいか分からないだろうし、何か声を張り上げたところで、良い年齢の大人がそれをやると少なからず面白くないことにもなる。
では、どうすればよいか。例えばゴミを捨てない。また、ゴミを拾う。
そして、僕は次のことが大事だと思う。
「まずは知ること。」
これが元であり、始まりだと思っている。
まだまだ釣りたい魚もいるし、読みたい本もあれば聞きたい音楽もある。もっと走りたい。
「途上」である人間は幸せだ。
僕は死ぬまで「途上の人」であり続けたいと思っている。
Posted by ネオプラMASA at 13:28│Comments(4)
│日々の徒然
この記事へのコメント
私も、とびきり幸せな、愚か者を目指します♪
雷魚、期待してますよ♪
雷魚、期待してますよ♪
Posted by アズール
at 2013年02月11日 20:16

知る事
それ凄く大事ですね。
逆に知らないってのは
それだけで
もの凄く色んな事損してますからね。
ただの遊びの釣りだけども
釣りをしながら
自然について考えたりとか
勉強出来たなら
それっていい事ですよね♪
それ凄く大事ですね。
逆に知らないってのは
それだけで
もの凄く色んな事損してますからね。
ただの遊びの釣りだけども
釣りをしながら
自然について考えたりとか
勉強出来たなら
それっていい事ですよね♪
Posted by 宮本重工 at 2013年02月11日 23:32
>アズールさん
振り方ひとつ間違えば恐ろしい杖ではありますが、胸を張れる愚か者でありたいと思います(^^)
雷様は手強そうですが、なんとか型を見たいなぁ・・と。特殊な釣りですからねぇ。変な釣り大好きですから♪
振り方ひとつ間違えば恐ろしい杖ではありますが、胸を張れる愚か者でありたいと思います(^^)
雷様は手強そうですが、なんとか型を見たいなぁ・・と。特殊な釣りですからねぇ。変な釣り大好きですから♪
Posted by ネオプラMASA
at 2013年02月11日 23:36

>宮本重工さん
世の中知らない事の方が良いことも往々にしてありますが(笑)、やはり「知る」ことは大切だと思います。
決して強制的なものではなく、自発的なものとして。
自然環境にしろ社会情勢にしろ釣りにしろ、見方捉え方考え方に幅ができ、結果的に楽しみが増えることに繋がれば、それはこの上ないことだと思います。小林さんとお話させて頂いたとき、つくづくそう思いました。
釣りはいろんな事を教えてくれるような気がしますので、我々釣り人はそれを謙虚に受け止めて楽しみの幅を広げたいですね(^^)
世の中知らない事の方が良いことも往々にしてありますが(笑)、やはり「知る」ことは大切だと思います。
決して強制的なものではなく、自発的なものとして。
自然環境にしろ社会情勢にしろ釣りにしろ、見方捉え方考え方に幅ができ、結果的に楽しみが増えることに繋がれば、それはこの上ないことだと思います。小林さんとお話させて頂いたとき、つくづくそう思いました。
釣りはいろんな事を教えてくれるような気がしますので、我々釣り人はそれを謙虚に受け止めて楽しみの幅を広げたいですね(^^)
Posted by ネオプラMASA
at 2013年02月12日 11:55
