アドルフに告ぐ
僕の中には本として、文芸書や専門書と漫画の間に垣根は存在しない。
漫画だろうが、小説だろうが、良いと感じる本は良い。
漫画が好きだ。
それと同じくらいに「字の本」も好きだ。
要するに本が好きで、これまでに多くの作品から感動や影響を受けてきた。
「字の本を読みなさい。漫画ばかり読んでちゃ駄目よ!」なんてのはナンセンス。いろんな意味で勿体無い。その逆もしかりだが、あまりそのパターンはないか(^^;
先ほど、先日から読み続けていた村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終えたが、その感想はまたの機会で。ただ、世界的に評価されるだけあるなぁとも思ったし、おそらく読み返す度にこの物語はその時々に形を変化して僕の中に入ってくるような気がする。そんな気がした。
で、今回とりあげるのはこちら。
手塚治虫:「アドルフに告ぐ」
第二次世界大戦時のナチスによるユダヤ人虐殺を軸に置いた長編漫画である。
手塚作品といえば、人それぞれに真っ先に頭に思い浮かぶ作品は様々だろう。それだけに名作と呼ばれる作品も多い。
ちなみに「火の鳥」でいえば、僕は「鳳凰編」が一番好きだ。
世に正義と呼べるものがあれば、それを旗印に生きることに答えはあるのか、と思わせる作品であり、この「アドルフに告ぐ」も同じような気にさせた作品である。
話の内容や具体的な感想は省く。
これは一律的な感想が存在する話ではなく、ただ、そこには様々な正義があり、時代の奔流があり、それにより登場人物達は安易に言えば翻弄されると言えるのだろうが、そこに読み手の自己をどこに投影出来たかで、この物語は姿を変える。
この本を初めて呼んだのは学生の時。僕に薦めてくれたのは、その頃の仲間だ。そいつは手塚治虫作品のファンで、いろんな話を読んでいた奴だった。
「この本を、お前にぜひ読んでもらいたい。いや、読むべきだ。ぜひ、感想を聞かせてくれ!」
普段から物事を熱く語る男であったが、この本のことになると、やけに懸命に薦めてきた。
この男は僕にとって、ソウルメイトともいえる間柄であり、僕は大学を卒業後、サラリーマンとなったが、そいつは夢を追って目指す世界に飛び込んでいった。そいつがその世界で成功したかどうかは僕の判断することでなはい。
ただ、奴は「燃え尽きる」ために生きているような男であった。「燃え尽きたい。」「俺も矢吹ジョーのように真っ白な灰になりたい。」事あるごとにそう言っていたが、この齢になると、「そんな事言ってるうちは燃え尽きることなんて出来やしない」ってことくらい分かってくるのだが、その頃はそんなこと分からなかったし、僕もまた、心のどこかで「燃え尽きる」ことへの憧れみたいなものは持っていた。
ただ、家庭を持ち、平凡な幸せ(あまりこんな安直な表現は使いたくないが)の追求は、とてもじゃないが簡単なことではなく、相応に命の燃焼が必要であることは、汗や涙と共に実感してきたつもりだ。
だからこそ、この「アドルフに告ぐ」を、先だっての年末年始にかけて読み直したとき、昔読んだ時の印象とかなり変わった感じを受けた。
こういうのを名作と言うのだろう。
手塚作品の中では、それほど目立った存在の本ではないが、ぜひ、もっと多くの人に読んでいただきたい、と思う。
それだけの価値を、僕はこの本の中には見出している。
名作である。僕にとっては。
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